鹿の道

 ススキの原になっている隣の休耕田をのぞくと、縦横に踏みならされた道が走っている。おそらく鹿の散策路に違いない。縦横といったが、こちらの敷地に向かう道もあって、そこは柵が壊れていたり隙間ができていたりするところになっている。結果的に、当方の敷地内にはこんな残留物も残っている。そろそろジャガイモを植える時期が近づいてきたし、納屋の奥に残されていた「鉄条網(有刺鉄線)」の巻きを持ち出して柵の補修をしてみた。
 鉄条網を自分で取り扱った記憶はないが、これほどやっかいなものはない。まずほどくのが大変だ。棘同士が絡まって線を出せないことがある。長さを測ろうと思っても巻いてあった線はコイル状になっており、伸ばそうと思って引っ張ったりすると手痛いしっぺ返しを食う危険性がある。
 皮手袋というのは大体便利なものだが、鉄条網の取り扱いについてはひときわ役に立つ。と思いながらせっせと柵に鉄条網を張る作業をやってみた。近所の先生の意見では、一度鹿の道ができてしまうとどんなことをやっても通行権を確保しようとするらしいが、どうだろう。次回の楽しみの一つである。


鹿道1

破れかけた柵の向こうには

鹿道2

奴らの散歩道がある

苦労して張った鉄条網

鉄条網

会所看板

 最初にきてからこの道路標識が気になっていた。すむ人は決して多くはないのになぜ「会所」なのかと思ったが、実際にきて住み始めてみると、この2文字が作るほっとするような感じがしっくりするのである。当然往復ともこの看板と反対側の看板をみるのだが、やはりほっとする。というわけで、プロフィールの写真は決定した。


会所看板

ふきのとう

 畑予定地3区画のうちの一つにふきのとうがでている。先週もカミサンがとっていたが、今度の週末は暖かかったこともあってかなりいっぱいでていたらしい。それに、椎茸も大豊作。農作業を始める前からこういう収穫があるのはうれしい。
 実はそのほかにもご近所からのいただきものがある。肉食動物の私にはきついところもあるが、この調子だと食べるのには困らない感じだ。肉食動物にはイノシシがあり鹿があるともいえるが、狩猟免許を取っても獲物がとれたらどうしようという問題は解決をみてはいない。

ふきのとう

3日間の進展(田舎暮らし一直線)

 3/8に開催される狩猟免許試験の申込は、千葉県に出向いてしなければならないため、2/16(月)は仕事を休んで大多喜町中心部にある夷隅合同庁舎に出かけた。通常であれば、ついでにホームセンターなどいろいろなところによるのだが、山積みの仕事が呼んでいるということでトンボ帰りをしたのだった。
 ということで、今回はほぼ3日間の農業生活だった。土曜日の耕運機の修理完了から始まったのだが、そのパワーはたいしたもので、40アールの農地の大半を少なくとも一度は耕運してしまったし、そのうち多くを占める田圃予定エリアはさらに深く耕すというようなこともやってみた。それ以外に別項で触れた水を引く工事や近所の人たちとの交流などが混じる。
 幸い3日とも暖かい陽気に恵まれたし、自分自身にもやる気があったので起きるのは5時、フルに働き疲れはてて眠るのは9時という毎日で、なんだか充実しているなあと感じた。昨日は横浜の家についたのが8時、ご飯を食べて風呂に入ったりしていると睡魔がおそってきて、BLOGに書くどころではなく眠りについた。これからの休日はこういうパターンになるだろう。


4枚田450

田圃になるだろうか

 今朝は5時に目が覚めた。近所といっても100m位は離れているが、迷惑にならぬようなるべくゆっくり支度して6時半頃から耕耘機に乗り始めた。でも早すぎたかもしれない。ウルトラポチ(耕耘機)は、残念ながら快調ではなく、プラグがかぶり気味で暖機運転に時間が必要だ。まあ、どんどん使えば次第に調子は出てくるが、プラグ交換とキャブレタークリーナーをやらねば。
 今日はあさから田圃予定エリアの耕耘を始めた。大まかには畦道の位置は決めていたのだが、耕耘を始めるとレベル差の大きいところが目立つ。田植えや刈り取りのことも考えて直線的な畦にしようと思っていたのだが、レベルに合わせて曲げたり、3枚の田圃を4枚に変えたりしてみた。
 そのうちに山の水の仕事が入って中断。水がきた後は、もっともレベル差が小さく、以前は水持ちも一番よかったらしい一番下の田圃に水を張り始めた。ただ、水量もたいしたことなく、田(予定)もざるのように吸い込む状態なので、果たして水がたまるのかどうか。来週が楽しみである。

田圃の予定1


田圃作り2

山の水がきた

 昨日お隣で興味深い話を聞いた。田圃をやっていた先々代のオーナーさんは、山から水を引いていたというものである。町道の反対側の山のわき水で、道を舗装するときにもその下をくぐる配管もやってあるらしい。いつも手伝ってくれているその家の息子さんが知っているというので、今日教えてもらうことになっていた。

水源地のようす


 今朝になってさっそくいってみた。水源地は家の前の道路から沢をちょっと入ったところである。倒木やら木の枝が折り重なる沢を登っていくと昔は土嚢だったらしきものが積んであった。おそらく10年くらいたっているのだろう。写真は取り忘れたが、パイプの先にはゴミよけのかごがついていたのだが、すっかり泥に埋まっており、かごの中も泥が詰まっていた。その後も塩ビパイプや家の中のゴムパイプのあちこちで水漏れが始まり、そう簡単には水は出てきてくれなかった。

途中の沢


 午前中いっぱいあれこれやってみて、どうにか家の中(田圃予定地エリア)に水が流れ出した。それにしても、隣の坊やはたいしたものである。ほとんど彼の働きであった。私などは道具などを取りに行くアシスタントのようなものだった。ちょっと水量は少なめだが、水がやってきたのはとてもうれしい。

ついに出た山の水

仔牛の誕生

 隣のお宅は酪農家である。家の昔の状態(特に田圃)を聞くために訪れたら、ちょうど仔牛が生まれたところに遭遇した。
 
仔牛誕生
 
 
 なんだか話を聞けるような状態ではなかったが、それでも時間を割いてくれてかなり有益な情報を聞くことができた。その内容は明日確認しながら別の項目で整理することにしよう。ここのお宅では、49頭の牛を飼っていると聞いていたが、これで50頭ということになるわけだ。大変に忙しい仕事のようで、お子さんたちも総出で手伝っているらしい。先週は絞りたての牛乳をいただいたが、とても美味かった。
 
牛たち

農機具復活

 横から吹く春一番の残りの風を受けながらアクアラインを渡り、大多喜の家にやってきた。今日も1時間半、到着は9時ちょうどくらい。しばらくすると10時の約束の農機具屋さんがずいぶん早めに到着した。今日は一番期待している耕耘機のタイヤを持ってきてくれることになっていたのである。バッテリは自分で交換し、エンジンはかけてみていたからタイヤを取り付けてもらって納屋の外に出した。8年間ほど暗い納屋の中に閉じこもっていた割には結構元気だった。
 
箱入り息子

 
 農機具屋さんはさすがに冷静で、ベルトを見てみましょうといいながらカバーを開けた。3本あるベルトのうち2本はやはりかなりへたっている。この耕耘機は不思議な仕掛けになっていて、ベルトが切れるとその場で停止するらしい。今頃のような時間に余裕のあるときに交換する方がお互いにいいらしいが、なるほどである。あまり整備性は考えられていないようで、プロでも3本のベルト交換には時間がかかる。その間にオイル交換は自分でやってみた。
 
農機具屋さん2

 
 
 次はいよいよ働く番である。先々代のオーナーさんが残してくれた取扱説明書には目を通していたから、農機具屋さんの簡単な説明で様子はわかった。とりあえず耕耘機(ウルトラポチという名前)はそのくらいにして、もう一つの気がかりである運搬車を見てもらうように頼んだ。
 
運搬機1
 
 
 この運搬機は、推定30歳前後。箱にエンジンが付きクローラ(キャタピラ)により動く仕掛けである。まあ、簡単に言えばエンジン付き一輪車のようなものだ。見た目はかなりくたびれており、あまり期待はできないと思っていたが、プラグコードを外してスターターを引っ張った農機具屋さんが火花が出ていることを確認したので、俄然可能性が出てきた。ガソリンを入れチョークを引き何度かスターターを引っ張ると、何とかエンジンは回り出した。
 
 
 
 耕耘機と運搬機が動いたことで、ずいぶん見通しが立ってきた。耕耘機では、早速二枚の畑を耕してみた。これで、とりあえずのジャガイモは植えられそうだ。それにしてもわずか2時間ほどで200坪くらいを耕せたが、便利な機械である。そのあと、山で刈り取ったススキを運搬車で運んでみたが、これも便利である。いい加減に山積みして縄で縛って運んだのだが、よく働く機械である。山にも通路を作り、堆肥を運んだり色々働くはずである。

働く運搬機


 傍らに立つのは隣の酪農家の息子さん、引っ越ししてからいつもきて手伝ってくれる。酪農は大変な仕事のようで、自分の家の手伝いを終わらせてからきてくれよ、といっている。でも、素人の我々よりよっぽど詳しく、とてもありがたい。

シンボルツリー その2

 「シンボルツリー」のあとも、色々考えたり見聞きしていたが、早く大きくなり巨大に育つというかなり単純な理由でメタセコイアにたどり着き、オークションで種を買ってみた。

メタセコイア(種子)

 変種の松ぼっくりのようなゆりかごから透明袋に入っている種子が出てくる。吹けば飛ぶような種子はかなり頼りないものだが、発芽率も低いらしい。

 100円ショップで買った吸水性のゲルボールの上に蒔いてみた。こんな寒い時期だからどうかなと思っていたが、ご覧のとおり無事発芽した。

発芽したメタセコイア

 緑色の小さな蛇のように見えるのが新芽である。ぐんぐん伸びて20年くらい経過すると、30mくらいの大木に成長するようだから、植える場所は慎重に考える必要がある。秋には葉だけでなく茎のような部分も落ちるようだから、そのことも考慮する必要がありそうだ。


近所(横浜)の学校のメタセコイア


これは横浜の家の近所、中学校に植えられているメタセコイア、落葉している3本がそれ。この学校は平成5年開校ということだから、まだ20年もたっていないが、すくすくと育っている。向こうの木は、山(本牧山頂公園)の上に植わっているもの。

再びアクアライン

 週末に通い始めてみると、どこにも寄らなければ横浜市中区から大多喜町会所までは1時間半である。これまで週末を過ごしていた三浦半島南部までが1時間10分程度(下道利用)であったことから考えると結構近い。年に何回か出かけていた松本市内までは4時間もかかっていたから、1時間半は週末住宅としては決して遠くないといってもいいだろう。 全くアクアラインはありがたいが、半額になる通勤時間帯を使うという前提で、大多喜での作業をできるだけ片付けようとすると、基本的には山間を抜ける道を辿るので買い物をする店が少ない。一度向こうの家に入り込んでしまうと、もう買い物も厄介で時間がもったいなくなるので、何でもなしで済まそうという「今までには考えたこともなかった」習慣がつきそうで、これは画期的なことではないかと思っている。
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田圃の準備

 農家の仕事はどうやら土木工事と縁がありそう、と思ったことからオークションでレベルを購入してみた。

オークションで買った中古のオートレベル


草刈りの合間を縫って田圃予定地のレベルを測り、畦の位置を仮決めしてみた。詳細なレベル測定は今週末に行うが、元の田圃時代とは相当な差があるようで、耕耘機で田圃を作る前に大幅な土の異動などによる準備が必要とみられた。一方で水の手当て(川からの揚水)も行うが、ちょっとというよりはかなりの難問のようである。


測量中

携帯がつながりそう

 近所にFOMAのアンテナが立つという噂を聞き、DoCoMoのHPで確認したところそれは真実で、今年の7月までのサービス開始予定エリアになっていた。ただし私の家はぎりぎりで入っているという感じ。まあ、安全側のエリア線引きだろうから使えるだろう。「携帯がつながらないエリア」ということでよっぽど僻地だろうと思われていたと思うが、少し印象は変わるに違いない。
 

 

引っ越し費用

 冷蔵庫・洗濯機などの基本家財は三浦半島津久井浜の海沿いのマンションの自宅から運んだ。特に親しい運送屋もいないし、まずはインターネットで見積依頼をしてみた。すぐに連絡があったのは「ありさんマークの引越し社」で、金額はいわないがうかがって見積をしたいという申し出、とりあえず予定を決めた。全体8社のうち金額を出してきたのは4社程度、金額には約2倍程度のばらつきがあったが、最も安い「ファミリア引越しサービス」という戸塚区の会社にはこちらから連絡を入れて見積日時を決めた。
 同じ日に2社が来ることになったが、最初は最安値の会社。一通りみて出してきた値段は最初の価格よりは少し上がった程度。もう一社来るからということで結論は出さず一応帰ってもらった。続いてはTV広告も相当やっている大手業者さんの番だ。前の業者さんと同様、荷物のチェックなどを済ませ出てきた見積金額は何と3倍以上。これは話にならないとお帰りいただこうとしたが、それが帰らない。何とか競争相手の金額について見当をつけ、携帯電話で会社と相談して出してきた金額は前の業者の1割増しくらい。いっぺんにそれだけ下げてくるのもひどい話だが、それでもまだ帰らない。聞いてみると、上司の許可がないと帰れないということらしい。携帯で何度も連絡をとるが、そのたびに上司から「高速料金が別じゃないか」「全部ではなく除外品があるんじゃないか」などの質問が出て、それがこちらに確認事項として回ってくる。
 帰れないのもかわいそうだが、こちらもラチがあかない。あまり品はよくないが、別業者の見積を見せて、これより安くなけりゃ話にもならないんだよと伝えたら、ようやく上司も折れたようでセールス担当者は帰っていった。まあ、あの仕事を取るまで帰らないという姿勢はすごいと感じたが、最初の金額と二回目の落差も相当なものである。引越しの際には色々交渉してみることが必要だ。
 
届いた荷物 ぎゅうぎゅうに詰まっている

シイタケの収穫

 私自身はシイタケを嫌いなんだが、一応計画の中では林の中にキノコ用の場所を考えている。敷地内には3カ所のホダ木置き場が元々あり、ホダ木は相当古そうだったために気にもしていなかったが、先週カミサンがそれを覗いていて素っ頓狂な声を上げた。シイタケができていたのである。時季外れではあったが、それでもかなりの量を採り、大きめのものはこのように干していたが、これも有望な産物かもしれない。

今のホダ木置き場


 ただ、キノコ用のスペースは林の中に作る予定であり、初夏から秋までは蛭との戦いになる可能性がある。ナメクジに似ているとはいっても奴らはシイタケは食べないと思うが、取りに行く我々が餌食になることは十分に考えられるところだ。

思いがけない収穫

最初の作業

 耕耘機が使えない状態だったため、最初の作業は山の草を刈って果樹を植える準備をすることだった。といっても、道具の問題がある。一応先々代からの農機の中に刈払い機は2台あり、それを何とか動かそうと試みたが、どうにも動かない。応援に来た弟にもやってもらったがそれでも動かない。とうとう鴨川のカインズホームまで出かけて買ってきた。
 
 山は針葉樹(杉林)と広葉樹(雑木林)と、今回開こうとしているイワツツジのエリアに分かれているが、最後のそれはこのような感じ。かなりの密度で植わったイワツツジの間をススキが埋めている。ススキは直径20~30センチの株になっており、一応根に近いところで切るのだが、地下部分には根っこが縦横に走っており、それこそ根絶はかなり難しいという話だ。比較的安全といわれている除草剤があるらしく、田や畑とは離れていることから、いざとなったら使わざるを得ない可能性がある。
 刈払い機という機械、かなりパワフルな機械で、刈ること自体は正味二日もかからずに終わりそうだが、そのあとの除草剤塗布(筆で塗ったりするようだ)が大変ではないかと思う。

うちの山はススキだらけ1

うちの山はススキだらけ その2

どっちを向いてもこんなもの。その後随分刈ったが、地下には根っこがはびこっているらしい。

インターネットがつながった

 乗り込む前から気になっていたことの一つに、果たしてインターネットがつながるかというものがあった。そのあたりは「インターネットは微妙」で触れた。
 最初の日は基本的に掃除の日だったが、その合間を縫ってモデムやルーターなどの機材を取り付けた。一段落して設定をしながらつないでみると、あっけないほど無事にインターネットがつながった。速さは1.5Mbpsだから、ADSLの走りの頃を基準にすれば立派なものである。大容量のデータをDLするような場合は気になるかもしれないが、通常のHPの閲覧やメールチェックなどでは全く問題がない。
 カミサンは、「せっかくこういう環境で農業をやろうというんだから、ここではインターネットをやめたら」というのだが、経験のないことを始めようというときに強い味方がいるわけで、まずはほっと一安心というところだった。
 

耕耘機の状態

 ヤンマーのUP-2Hという小型乗用耕耘機があることは事前に確認していたので、それの状態チェックも最初の仕事の一つだった。先代所有者さんは使っていなかったらしく、7~8年間もの間納屋に入れられていたから、全体はかなりのホコリに覆われていた。ぬぐってみると真新しいボディが姿を現すのであまり使われていなかったようだが、詳細にみるとバッテリはカラカラ、ガソリンタンクやキャブまでの経路も乾燥している。更にフロントのタイヤはぺちゃんこでひび割れている状態。ちゃんと残っていた取扱説明書などから、購入店が判明したので声をかけ、とりあえずタイヤは持ち帰ってもらい、あとはその後ということになった。

UP-2H.jpg


 しかし使えるかどうかは主要な関心事であり、それによって色々計画が変わってくる。そのため、農機具点へのバッテリ交換依頼をキャンセルして自分で買ってきて取り付けてみた。キャブまでは一応ガスが入り、かなり長いクランクをしてみたら、咳き込むようにエンジンがかかった。オイル交換もまだだったから直に止めたが、とりあえずの畑や田圃作りにはこれが役立ちそうだ。長期的には自然農法によるつもりだから、だんだん出番は減っていくはずだが。


耕耘機(座席)
 

大多喜町会所の歴史的成り立ち

 挨拶回りをする中で、何件かのお宅から昔の成り立ちを聞いた。このあたりは、終戦後(戦時中という話もある)に開墾地として開かれ、現在の皆さんの先代あるいはその前の方々が入植されたらしい。山間の(おそらく2町歩/戸程度)土地を開くのは容易ではなかったはずで大変な苦労をされたと思うが、その中で家族のような付き合いができていたんだろうと推測された。
 私の家の先々代の持ち主はそうした由来の方だったようだ。納屋に入って色々みてみると、農業機械も含め欲しいと思うものは大抵揃っている。ほこりだらけだがきちんと整理されていた様子が見て取れる。一度お目にかかってみたいものだと考えたが、8年ほど前に息子さんの家に移られたあと、数年前に亡くなられたらしい。残念なことである。
 最寄りの駅から10キロ、最も近い商店やコンビニも同じくらい離れているのにバスもない、というこのエリアでは年配の方はとても住みづらい。来てみると自然環境も人の和も素晴らしいと思うのだが、何とかそういったものを存続させる方法はないのだろうか、と感じさせられた。
 

ご近所への挨拶

 購入を決めてから実際に入居するまでは2ヶ月弱、楽しみながらあれこれシミュレーションを重ねたこともあって随分長く感じたが、1月30日に初めて(正式に)乗り込んだ。ステーションワゴン1台分の手回り品を持ってのとりあえずの入居であり、1週間後の家財の搬入前に掃除などの準備をしておこうというものだった。
 やることはいろいろあるのだが、とても重要と考えていたものにご近所への挨拶があった。このエリアでは「区」という一つのまとまりがあるようで、私の家の2軒前から約1.5キロの間に所属10数軒の家が散在している。家内での最初の一仕事を終えたあと順次回り始めた。
 実は1週間前にも来ていて、「樅の木庵」という地域の人たちが自主運営している蕎麦屋(蕎麦打ち教室併設)に顔を出していたから、ある程度は情報も伝わっていたようだが、突然の乱入者である我々に対し何となく暖かく受け入れてもらえそうな感じであった。どちらのお宅でも、上がり込んで話し出したら終わりがないくらいになりそうな印象だった。こちらとしても聞きたいことは山ほどあるが、やるべきこともまた限りないので、残念ながら玄関先で失礼せざるを得なかったのである。
 
 やはり高齢化は進んでいるが、特におばあちゃんたちは元気である。相互に離れてはいるが、ヨソのお宅の様子などもよくわかっていて、なんだか集落全体が大きな家族のような感じだった。新米の我々のこともウォッチされているようで、「さっき草刈りしていたね」なんていわれて、私が真新しい草刈り期で山の草を刈っていたことも認識されていたくらいだ。全てのお宅で、素人農業をやると宣言したから、一体全体本当にできるの? と皆さんから注目を受けるであろうことは間違いがない。

田舎予定地の概要

 前のBLOGの再掲と重なってくるだろうけれど、これから田舎に仕上げ農業をやっていく場所そのものを紹介しておこう。

 そこは房総半島の中央部の南側に位置する。分水嶺をくぐるトンネルを抜け10キロ弱南に行くとそこは海だが、こちらの田舎予定地はそんなことを全く感じさせないほど山奥である。広さは、昔の単位で一町歩、うち半分弱が原野という地目となっている山と川付の土地。残りは畑と宅地。畑のうちかなりのエリアは昔田圃だったようだ。
 不動産仲介業者の説明によると、「浮き世を離れた仙人のような生活をしたい方にお薦め」と書いてあるが、ほぼその通りかもしれない。携帯はつながらず、害獣(イノシシ・鹿・山蛭など)が出没する、最寄りの駅まで10キロ弱、最も近い店までも10キロなどと、真剣に検討すると尻込みしてしまうような言葉が並ぶ。
 ただ、色々田舎暮らし用の不動産をみてきたが、これほど広い敷地の物件は例がない。まあ、広ければいいというものではない、徐々に紹介いていくことになるが、色々考えていくと潜在的なポテンシャルというか、やってみたいことの多さはきっと他とは比べものにならないくらいではないかと思う。
 現状は、畑は草原だし山は林の状態だが、これまでの調査や検討の結果で目標というか当面の利用計画は決まりつつある。それは次のようなものである。
 
敷地イメージ

 
 ABCは畑、Dは田んぼ、Fは果樹園、Gはキノコ栽培用地とかなり盛りだくさんである。実際には1月末に入植したものだから、春から始まる今シーズンに向けて、やること山積み状態といったところだ。

 ところで、現在と昭和49年当時の田んぼがあった頃の航空写真を並べてみる。この2枚の上半分、現在はほぼ草原だが、それを上の図のようにしていくのが当面のミッションだ。


敷地今昔

前の記事の転載

ここの前に使っていて、既に消去してしまったBLOGのバックアップを取っていました。 試みにそのうちの2件をアップしたらうまく移せたようです。現在の記事と混ざるとごちゃごちゃしそうですが、一部については再掲載してみることにします。

とりあえずのご挨拶

 60歳という年齢は、今も昔も一つの区切りなんだと思う。ということで、昨年(2008年)暮れに還暦と定年が一度にやってきた。こういう事態は当然予測されていたので、ちょっと前からどんな方向を目指そうかということは色々考えていた。昨年夏ごろに考えていたのが「農楽文画」というキーワード。農業・音楽・文章・絵画という具合に漢字を足すとわかりやすくはなるが、ちょっとイメージからは外れてしまう。農・楽・文・画という具合に、いろんなことを中途半端にやる感じが良かったんだが。

 ところがそのうちに、一文字目がやけに気になるようになってきた。田舎暮らしもいいんじゃないかと、横浜からはアクアラインで一走りの房総エリアで手頃な物件を探し始めたら、それにどんどんのめり込んでしまった。そんな中で、「かなり理想に近い」とある物件が目についてしまう。

 房総半島の背骨の南側、大多喜町から勝浦に抜けるトンネルのあたり、会所という地名になるが、そこで3000坪の土地付きの家が売りに出されていた。その約半分は山である。残りが畑と家の敷地。家のほかに納屋もあるが、そこには農業用機械が収まっていた。中途半端ではない農業をやりなさいといわんばかりのものである。携帯がつながらないし、イノシシ・鹿・猿・山蛭などが出没する山奥であるとか、車がないと生活できないといった問題はあったが、今までのサラリーマン生活から転身する環境としては申し分ないように思えた。ただ、年金はすぐに出ない世代だし、何年かは勤めは継続するので、両立についてはちょっと問題含みではあるのだが。

 そんな土地と建物にようやく入植した。購入を決めてから2ヶ月くらい、一体何をやるかを考える毎日が続き、頭の中ではかなり多岐にわたるシミュレーションは重ねてきた。年末年始のあたりには別のBLOGにそうしたことを書き始めていたのだが、ちょっとした操作ミスで更新ができなくなり、あらためてここで再開することにした。前のBLOGにはいろいろ書いたが、いずれも頭の中で考えたこと主体だった。ここでもそんなシミュレーションを再度書き込むけれど、実際にやったことを主体に書いていこうと思う。団塊の世代が定年を迎えるこの時期、タイトルにも入れてある「定年帰農」という言葉が一種のブームになっている。だが、いざやろうと思っても常識的な判断から思いとどまる方も多いと思う。我々の場合は思い切って飛び込んだわけだが、そんなことがうまくいくのか行かないのか、リトマス試験紙のようなことも私自身およびこのBLOGの重要なテーマだと思う。ということで、にわか農業人の生活を紹介していきますのでよろしく。

theme : 自己紹介
genre : ブログ

プロフィール

ルーキーファーマー

Author:ルーキーファーマー
房総半島大多喜町に山と耕作可能地が揃った素材を購入し、2009年初めから畑と田んぼを作り、半田舎暮らしとほとんど経験がなかった農業を始めた。2010年には農業従事者として認められ、農地も自己所有となる。更にご近所の畑を借り、規模を拡大して農家の仕事にあたっている。コメも野菜もやっており、週末農業の限界も感じていたが、2011年末に40年続けたサラリーマンを辞め、専業農家に脱皮した。農業以外には、定年世代の方々に帰農を勧める活動、子供に自然体験をさせること、農業体験を希望する方への協力などを推進していく。この辺りにご興味のある方は当BLOGにコメントなどで参加して下さい。

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