オートレベル(百姓には必需品)

 今日は2棟目のハウス予定地の地均しを行った。目で見ても傾斜を認識できるが、オートレベルで測ったら22cm程度の高低差があった。10m程度しか離れていないにしては差が大きい。大雑把に高低差を頭に入れてユンボで均しはじめたが、土の移動についてはマイクロユンボの排土板はちょっと小さすぎ、役不足気味だ。暗くなったので本日は終わりにしたが、明日は雪のようだから数日は再開は難しいだろう。

0207オートレベル

 ところで、入植してすぐにオークションで中古を買ったオートレベルは、かなり便利な道具である。単なる傾斜地に段々の田んぼを作ったり、小屋の土間を水平に作ったり、田んぼの配水管を適切な傾斜で敷設したり、それらはすべてこのオートレベルを活用したからできたようなものだ。フィールドでは眼で見た感覚は相当錯覚に邪魔されるため、水路が逆勾配なんて言うこともよくあることだが、この道具があれば大丈夫。
 オークションでは5000円も出せば購入可能、三脚も専用のものが必要で、これも同じくらいの価格ではないかと思う。セットのものがうまく見つかれば、7000~8000円で買えるんじゃないかと思う。大学での4年間、会社員の40年間、一応建築が専門だったがオートレベルは触ったことがなかった。それでも使える簡単な道具である。百姓は、何でも自分でやるから百姓なんだと思うが、この道具はそのための必需品だと思う。

0207高低測量
 
 
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ にほんブログ村  にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
  ブログ人気ランキングに参加しています。一日一回バナークリックで投票してください、お願いします。

トランジスタと私

 先日、ネット上をさまよっていたら、私とトランジスタの生まれた年が1948年で同じだということがわかった。私は団塊の世代まっただ中だから、1948年生まれは世の中で特に珍しいことでもないのだが、この前のちょっとした連載「私のコンピュータ小史」の主役であるPC、その構成部品であるLSIやICなどは基本的にトランジスタのテクノロジーの上で成り立っている。ちょっと方向を変えると、SONYが初めて発売した6石のちいさなラジオがうちにあったし、以降トランジスタを使った色々なものは生活の中に密接に入り込んでいた。まあとにかく私の65年間はトランジスタの発展とともに生きていたことなんだなあ、という感慨が生まれたのである。

うちにあったラジオはたしかこれ  SONY TR-610 

0206ラジオ

 そういえば、軽トラに載せているラジオは中国製、SONYのものも気になったが、おそらく10年以上も前のモデルを高い値段で買う気にはならなかった。トランジスタ世代としてはちょっと寂しいところだ。
 
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ にほんブログ村  にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
  ブログ人気ランキングに参加しています。一日一回バナークリックで投票してください、お願いします。

投稿依頼が舞い込んだ

 先日、ふるさと情報館という田舎暮らしに特化した不動産仲介業者さんが刊行している「月刊ふるさとネットワーク」という本の取材を受けた。この結果は2013年12月号に掲載となったが、その続きのような感じで今後6カ月あるいは12カ月の間、毎月の投稿を依頼された。田舎暮らしのいろいろなエピソードを原稿用紙2枚前後にまとめることになる。
 早速、先日のカエルの騒ぎを題材にして原稿を送ったから、この4月号に掲載される予定だ。幸いなことに題材はいくらでもあり、こんなことやっているから文章を書くことに問題はない。BLOGとテーマがダブることは当然あるだろうが、一応原稿用は別に書き下ろすつもり。この雑誌は定期購読のみで書店には並ばないはずだが、刊行された段階で私の記事はBLOGに掲載しようと思っている。
 
 
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ にほんブログ村  にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
  ブログ人気ランキングに参加しています。一日一回バナークリックで投票してください、お願いします。

羽釜はかなりすぐれた道具

0206お釜とお鍋

 先日、2回にわたり味噌の仕込みをやったが、大豆7Kgを仕込んだ2回目は3種の容器を使用した。アルミの鍋とホウロウ鍋、それと羽釜である。熱源として1回目は炭と薪の2種類を使用したが、薪は火勢の調節がしづらかったので、2回目はいずれも炭で行った。並行して計3時間以上火にかけていたが、中では羽釜が柔らかさのムラが少ないことなどで他の2種より優れていた。煮汁(千葉ではトウゾという)も一番色が濃かった、よく煮えたという証拠だと思う。おそらく羽釜は球形だから、熱の伝わり方のムラが少なく、これがいい結果につながっているのだろう。
 この羽釜は家に付属していたものだが、春のタケノコを茹でるときにも使うし、とても役に立っている。本稿前半ではムラがないという長所を書いたが、効率も優れている。今回大豆を煮るのに炭を使ったが、直接炎が当たる薪だとどうしても吹きこぼれてしまう。炭の放射熱でじっくりが適しているようだ。
 しかし、最近ではなかなか売っているところがないようだ。当然、インターネットでは見つかるがかなり高価である。鋳物の大きなものでは20万円なんていうものもあった。まあ、二つもいらないので引き続き大事に使うことにしよう。

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ にほんブログ村  にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
  ブログ人気ランキングに参加しています。一日一回バナークリックで投票してください、お願いします。

次の計画(ビニールハウス)始動

0205青空

 本日農場入り、雪は残っていたが空は素晴らしく青かった。しかし気温は低め。ちょっと寒い日が続いたからか、この1週間ほどは仕事があまりはかどっていなかった気もする。シーズンオフも折り返し点を過ぎたので、次の課題に取り掛かることにした。

0205雪

 昨年春に1棟目のビニールハウスを建てているが、それ以降このハウスが結構よく働いた。それで2棟目を建てることを計画していたが、今月後半くらいにはめどをつけたいということで前回も頼んだ農機具店に来てもらい、2棟目のハウスの資材を依頼した。前回は間口3間奥行8間だったが、道路境界と斜めに建てざるを得なかったため、横に並べると奥が納まらない。今回は3間×7間ということにした。資材の到着はまだ先だと思うが、途中になっていた予定地の地均しを再開することにした。
 
 
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ にほんブログ村  にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
  ブログ人気ランキングに参加しています。一日一回バナークリックで投票してください、お願いします。

私のコンピューター小史(5)コミュニケーションメディアとしてのPC

 NHK-TVで猪熊源一郎美術館が紹介されていて、ずいぶん奥に潜っていた記憶がよみがえった。実はこの建物の建設中にここを訪れたことがあった。その当時、社内のパソコンネットというものをやっていたのだが、それにNHKが目をつけて朝のニュース番組の中で取り上げた。その中の一シーンとして現場でネットをやっている人を撮りたいという要望があったので、ここにしたのだった。このまえの(4)では、仕事場での処理にPCを適用したことなどを書いたが、それとは別にコミュニケーションメディアとしてPCを利用するということもやっていたのである。
 そのきっかけは、ある時上司から投げかけられた質問だった。私のいた会社はゼネコンだったから、国内で2000位の現場に分かれて生産活動をしていたのだが、「それぞれの状況をつなぐような手段があれば、現場の運営が画期的に進歩すると思うので、何か方法を考えてほしい」、これが質問の内容。これは1987年8月のことだった。その際はNTTに問合せ、DRESSやDEMOSという大型機に電話回線経由で端末をつなぎ、データの処理や集積などを行うシステムを紹介してもらったが、かなり大げさなシステムになることが予想され、問い合わせのレベルからは進展しなかった。
 その後まもなく、SONYからなかなか面白い機械が発売される。1988年5月のことだがSONY IT-V1200というモデムがでてきた。単なるモデムとしても使えるが、実はこれだけでパソコン通信のホストの役割を果たすものだった。最初は面白半分でパソコンの付属品として購入しいじっていたのだが、会社の内線電話に繋いで、当時かかわっていたプロジェクトチームのメンバーに声をかけ、連絡手段として使い始めた。これがなかなか便利な代物だった。その当時はまだLANなどはなく、PCは単独で使うものだったが、簡単な付属品としてモデムをつける、あるいはモデムつきのワープロを使うとどこにいてもこのホストにつなげることができ、あの頃としては画期的といえるものだった。1回線しかつながらないこれはすぐにパンクして、ナツメ社から発売されていたBIG-MODELというソフトを4回線くらいのモデムを付けたPCに組み込み、「スマート通信」という名前を付けて運用を始めた。このことはたちまちのうちに経営者クラスの役員にも伝わって社内でも評判になり、PCを4台つなげて16回線での運用に拡大した。組織単位でメンバー登録をするところもあり、最終的にID発行数は3000を超えたはずだ。一日の接続数は400~500位だったろうか。
 これは社外にも伝わり、いくつものメディアで紹介されることになる。その中の一つは冒頭に書いたNHKの朝のニュースだった。取り上げたのは、通信系のメディアが多かったが、毛色が変わったものとしては、日経ビジネスにも載った。1991年5月13日号の「この人」というコーナーだったが、3ページにわたる記事となった。この時の記者は長妻昭さん、どこかで見た名前でしょう。版権に時効があるかどうかは不明だが、長妻さんの眼がとらえた社内ネットというものもなかなか面白いと思うので、ここに転載してみます。

 PCというものは、最初は計算や色々な処理に使うという形で入りましたが、実はコミュニケーションのツールでもあったわけでした。手の中にすっぽり収まるコンピュータを誰しも持つようになった現在、そのことは当たり前のことです。でも、色々な偶然や環境のおかげで、ずいぶん早くそれを実践し活用することができたのは、今思い起こすと大変貴重な経験でした。この「スマート通信」という社内パソコンネットは、社員全員がメールアドレスを持つようになるまで(1990年代後半か)、使われることになりました。ただ、使われ方としては公式と非公式の中間、仕事と遊びの中間といった感じでしたね。会社の幹部クラスもそのあたりは承知してくれており、会社は口を出すものではない、自主的にみんなで使うのがいい、なんていう言葉で応援してくれた方もいました。おおらかな時代だったともいえるでしょう。楽しく仕事ができた時代でした。
 
 
日経ビジネス 1991年5月13日号(no.144)

BIG-Model(ネットコンプレックス社)

0204NB01

0204NB02

0204NB03


にほんブログ村 ライフスタイルブログへ にほんブログ村  にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
  ブログ人気ランキングに参加しています。一日一回バナークリックで投票してください、お願いします。

私のコンピューター小史(4)仕事への適応

 BASICで汎用プログラムを組んだところまでは書いた。そんなことをやっていたから、所属していた部署でも私は便利な存在になり始めた。そこで、実務への組み込みを進めることになった。所属していたのはいわゆる企画部門で、毎月・毎期に行われる会議の資料作りというのがかなり面倒な定例業務として存在していた。今ならPCでの作業は当たり前なのだが、当時はPC自体がまだ海のものとも山のものとも解らない存在で、資料作りは職人芸の世界だった。グラフなどは、線はロットリングで書いてパターンはスクリーントーンを使い、数字はインスタントれ他を使うなんて言うことが当たり前だった。しかし、当時のPCのプリンターはドットインパクトタイプで、印刷結果はそのまま使えるものではなかったから、最初のうちは自作汎用ソフトで数値処理を行うといったところから導入していった。でも、データそのものは時系列的なものが多いし、全部の支店の数値を一括で処理するなんて言うフェーズも多く、画期的に楽になり時間的余裕も生まれた。この時間的余裕は、さらにいろいろな工夫のための時間となり、どんどん便利に使えるという状況が進み始めた。
 やがて、プリンターの機能向上で資料原稿をそのまま印字して使えたり、グラフテックという会社が出したプロッターという機械でグラフなどを自由に画ける(プログラムは要るけれど)という状況になり、所属していた部署の仕事の進め方は大きく変化していったのである。それに関して思い出すことがある。今では死語になってしまった単語(WYSIWYG)、これは画面で見ているものと出来上がり(印刷結果)が同じというようなことで、現在windows上で使うWordやExcelがそれそのものである。当時はそんな概念すらないといった時代だった。しかし、MSDOS上で独自のWindows環境を作り、みたままの資料作成を可能にするということを実現していたSOFTがあったのである。ダイナウエアという企業が出していたアップシリーズがそれ。ワープロとしてのデスクUPと表計算のチャートUPをメインにするソフトウエアパックで、これの導入で仕事は完全に変わってしまったのである。
 プロッターも道具として画期的だった。会議の資料などで折れ線・棒グラフ、レーダーチャートといったグラフをよく作ったが、確かこのあたりのソフトも自作したはず。もちろん、自作の汎用BASICソフトのデーターを使えるようにしてあったと思う、そんな気の利いたものはなかったから。
 インターネットはすごいもので、この当時使用したアップシリーズというソフトの開発者側(ダイナウェア)の様子を知らせてくれるページを発見した。文中に出てくる藤井さんや竹松さんはあって話したこともある。特に開発責任者だった竹松さんは、ソフトを開発する人に共通の緊張感と輝きを持った人として記憶に残っている。下に関連する部分のみをリンクしたが、全体はPCの歴史を綿密に記録したものであり、関係者にはお勧めしたい。私もこれから読破する。

    第214回 藤井展之とコンピュータグラフィックス

    第215回 竹松昇と魂の兄弟たち

    第216回 アラン・ケイの論文が残したもの

    第218回 PC-100とダイナウェア

    第229回 ダイナデスクとデスクトップパブリッシング

    第230回 マッキントッシュとページメーカー

    第231回 歴史の歯車は回り続ける

               いずれもパソコン創世記(富田倫生)より
               
 こんな具合で、1980年代後半には私の所属する部署はいわゆるOA化先進国となったのである。ソフトを作るという手間は最初に必要になるが、その結果生ずる余裕は毎月毎期の定例業務のたびに生まれてくるものだから、まとめると大きなものとなる。結果として、本来の企画部門としての仕事がいろいろできたのではないかと思い返している。見方によっては、タレント的にどこにでも顔を出すと思われたかもしれないが。(続く)

 
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ にほんブログ村  にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
  ブログ人気ランキングに参加しています。一日一回バナークリックで投票してください、お願いします。

02/03 直売所通信 おはようございます

先週は暖かい日がありましたので、ブロッコリーが好調でした。前回より増量しています。菜花・ほうれん草・小松菜などの葉物も多めです。種類も多めですが少ないものもあるので、お早目にお買い上げください。

数が少ないもの(5袋未満)
芽キャベツ、アイスプラント、白菜、ミニ白菜、サニーレタス、かぶ、ターサイ、ふきのとう、青首ダイコン、聖護院ダイコン、切り花(ストレッチャー、ストック)

5袋以上のもの
ブロッコリー、スティックブロッコリー、キャベツ、味丸み大根、レタス、ベビーリーフ、サラダほうれん草、ニンジン、小松菜、菜花、水菜、ほうれん草、長ネギ、玉ねぎ、サツマイモ(鳴門金時・ベニアズマ)、黒米
塩分少なめの梅干しあります(200円)

開店前でも中で準備をしていますから、声をかけてください。
配達無料サービスやっています。遠慮なく配達希望とお書きください。

ロウバイの花咲く

0201ロウバイ1

 つぼみが出ていたロウバイが、ようやく咲き始めた。BLOGを検索してみると、2011年は1月8日に咲いたという記事をアップしているので、今年はずいぶん遅いということになる。大抵積算温度で決まるはずなので、今年はいつもより寒いということだろう。

0201ロウバイ2

 ところで、このロウバイには鳥の巣が残っている。もちろん住人はいないが、去年のいつかの時期に何かの鳥が作ったのだろう。
 
 
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ にほんブログ村  にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
  ブログ人気ランキングに参加しています。一日一回バナークリックで投票してください、お願いします。

ヤツらのあと始末

0201卵1

 ヤマアカガエルたちの大騒ぎは一日半ほどで静まった。田んぼのあちこちに卵が残る。これが問題だ。大騒ぎの前に、おそらくそのきっかけとなった強い雨が降ったが、残念ながら短時間だったので合計では20mmも降らなかったらしい。今はシーズンオフで川から水を揚げるポンプも休みだから、沢水に頼るわけだが、その量はあまり増えておらず、みるみる田んぼは干上がっていく。そうなると卵はやがて干上がってしまう。

0201卵2

 親はそんなこと一切かまわず冬眠に戻ってしまったから、あと始末は私の役目だ。私自身、あと始末は全く得意ではなく、周囲には多大な迷惑をかけているのだが、こういう時は私しかやるようなやつはいない。全く人がいいというべきか。バケツに掬い取り、池まで持って行って入れる。こんなことを何度もやった。ただ、ヤツ等も全く考えていないわけでもないようで、一番干上がりにくい4号田んぼに多くの卵が集まっている。でも、この先の雨の具合では4号も安全ではない。そうなったら、もう一度大騒ぎをやってもらうことになるだろう。 
 
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ にほんブログ村  にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
  ブログ人気ランキングに参加しています。一日一回バナークリックで投票してください、お願いします。
プロフィール

ルーキーファーマー

Author:ルーキーファーマー
房総半島大多喜町に山と耕作可能地が揃った素材を購入し、2009年初めから畑と田んぼを作り、半田舎暮らしとほとんど経験がなかった農業を始めた。2010年には農業従事者として認められ、農地も自己所有となる。更にご近所の畑を借り、規模を拡大して農家の仕事にあたっている。コメも野菜もやっており、週末農業の限界も感じていたが、2011年末に40年続けたサラリーマンを辞め、専業農家に脱皮した。農業以外には、定年世代の方々に帰農を勧める活動、子供に自然体験をさせること、農業体験を希望する方への協力などを推進していく。この辺りにご興味のある方は当BLOGにコメントなどで参加して下さい。

ブログ村ランキング
にほんブログ村ランキングに参加しています。投票と「定年後の暮らし」バナークリックお願いします。
カテゴリ
最近の記事+コメント
最新トラックバック
RSSリンクの表示
最新コメント
FC2カウンター
FC2オンラインカウンター
現在の閲覧者数:
検索フォーム
管理者への連絡・ご意見など
BLOG管理者への連絡、定年帰農者連絡会(メーリングリスト)に参加ご希望の方、メールアドレスと内容を記入してお知らせください。

名前:
メール:
件名:
本文:

新記事連絡メール:登録
必要ならアドレスを入れボタンを押す


提供:PINGOO!
リンク
HS月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示
QRコード
QRコード