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私のコンピューター小史(5)コミュニケーションメディアとしてのPC

 NHK-TVで猪熊源一郎美術館が紹介されていて、ずいぶん奥に潜っていた記憶がよみがえった。実はこの建物の建設中にここを訪れたことがあった。その当時、社内のパソコンネットというものをやっていたのだが、それにNHKが目をつけて朝のニュース番組の中で取り上げた。その中の一シーンとして現場でネットをやっている人を撮りたいという要望があったので、ここにしたのだった。このまえの(4)では、仕事場での処理にPCを適用したことなどを書いたが、それとは別にコミュニケーションメディアとしてPCを利用するということもやっていたのである。
 そのきっかけは、ある時上司から投げかけられた質問だった。私のいた会社はゼネコンだったから、国内で2000位の現場に分かれて生産活動をしていたのだが、「それぞれの状況をつなぐような手段があれば、現場の運営が画期的に進歩すると思うので、何か方法を考えてほしい」、これが質問の内容。これは1987年8月のことだった。その際はNTTに問合せ、DRESSやDEMOSという大型機に電話回線経由で端末をつなぎ、データの処理や集積などを行うシステムを紹介してもらったが、かなり大げさなシステムになることが予想され、問い合わせのレベルからは進展しなかった。
 その後まもなく、SONYからなかなか面白い機械が発売される。1988年5月のことだがSONY IT-V1200というモデムがでてきた。単なるモデムとしても使えるが、実はこれだけでパソコン通信のホストの役割を果たすものだった。最初は面白半分でパソコンの付属品として購入しいじっていたのだが、会社の内線電話に繋いで、当時かかわっていたプロジェクトチームのメンバーに声をかけ、連絡手段として使い始めた。これがなかなか便利な代物だった。その当時はまだLANなどはなく、PCは単独で使うものだったが、簡単な付属品としてモデムをつける、あるいはモデムつきのワープロを使うとどこにいてもこのホストにつなげることができ、あの頃としては画期的といえるものだった。1回線しかつながらないこれはすぐにパンクして、ナツメ社から発売されていたBIG-MODELというソフトを4回線くらいのモデムを付けたPCに組み込み、「スマート通信」という名前を付けて運用を始めた。このことはたちまちのうちに経営者クラスの役員にも伝わって社内でも評判になり、PCを4台つなげて16回線での運用に拡大した。組織単位でメンバー登録をするところもあり、最終的にID発行数は3000を超えたはずだ。一日の接続数は400~500位だったろうか。
 これは社外にも伝わり、いくつものメディアで紹介されることになる。その中の一つは冒頭に書いたNHKの朝のニュースだった。取り上げたのは、通信系のメディアが多かったが、毛色が変わったものとしては、日経ビジネスにも載った。1991年5月13日号の「この人」というコーナーだったが、3ページにわたる記事となった。この時の記者は長妻昭さん、どこかで見た名前でしょう。版権に時効があるかどうかは不明だが、長妻さんの眼がとらえた社内ネットというものもなかなか面白いと思うので、ここに転載してみます。

 PCというものは、最初は計算や色々な処理に使うという形で入りましたが、実はコミュニケーションのツールでもあったわけでした。手の中にすっぽり収まるコンピュータを誰しも持つようになった現在、そのことは当たり前のことです。でも、色々な偶然や環境のおかげで、ずいぶん早くそれを実践し活用することができたのは、今思い起こすと大変貴重な経験でした。この「スマート通信」という社内パソコンネットは、社員全員がメールアドレスを持つようになるまで(1990年代後半か)、使われることになりました。ただ、使われ方としては公式と非公式の中間、仕事と遊びの中間といった感じでしたね。会社の幹部クラスもそのあたりは承知してくれており、会社は口を出すものではない、自主的にみんなで使うのがいい、なんていう言葉で応援してくれた方もいました。おおらかな時代だったともいえるでしょう。楽しく仕事ができた時代でした。
 
 
日経ビジネス 1991年5月13日号(no.144)

BIG-Model(ネットコンプレックス社)

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まぁ懐かしい

当時の言葉でROMばかりのていおーです。
いろいろひっくり返していたら、こんなものが出てきました。
まだお目にかかる前、24年も昔のログです。
版権は無いですよね。

-NUM- -R.DATE- -R.TIME- -SENDER- -CONTENTS-
00009 90-05-24 00:25:59 SMRT8001 嬉しい悲鳴とは

こういうことですね。
一日分のAコマンドが、一冊の本のように読みごたえのあるものとなり、
これに、ひとつひとつ反応していると夜も更けてしまい、明日の朝が
辛くなるが、全然苦にならない。

ようやく一人前になりつつあるスマ通、一歳です。

最初のうちは、張り切って背伸びをしたこともあったし、
空回りしたときもあったはずです。

ここの主ていおーさんや、現場の皆さんの書き込みをみていると
なんだか肩に入っていた力が抜けて、余裕をもってやれそうな気がしています。

私の力は微々たるものですが、皆さんの感じていることや経験を背中に
感じていれば結構頑張れるのではないかと思います。
げんさんのGKANとこのボード、それに古くからの有力メンバーである
ちだ へ君や元祖お土産君の出番もきっと近々出てくる見込みですが、
とても期待しています。
ていおーさん、具体的な話はまだですが、よろしく。

しかし、ていおーさんにも会ったことはないし、げんさんにも
もしかしたら研修のときに顔くらいは合わせているかも知れないが、
話はしたこともなかった。本当に不思議なメディアですね。これは。

No title

ていおーさん、お久しぶりです。
4分の1世紀の間に
世の中はずいぶん変わりましたね。
しかし、スマ通はBBSとメールができたんだから、
今とそれほど変わらないような気もします。
プロフィール

ルーキーファーマー

Author:ルーキーファーマー
房総半島大多喜町に山と耕作可能地が揃った素材を購入し、2009年初めから畑と田んぼを作り、半田舎暮らしとほとんど経験がなかった農業を始めた。2010年には農業従事者として認められ、農地も自己所有となる。更にご近所の畑を借り、規模を拡大して農家の仕事にあたっている。コメも野菜もやっており、週末農業の限界も感じていたが、2011年末に40年続けたサラリーマンを辞め、専業農家に脱皮した。農業以外には、定年世代の方々に帰農を勧める活動、子供に自然体験をさせること、農業体験を希望する方への協力などを推進していく。この辺りにご興味のある方は当BLOGにコメントなどで参加して下さい。

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